西音寺早良組
背振山系西山の麓西入部に、四季折々の景色に包まれ、西音寺は伽藍をかまえる。
歩みをたどると、当寺創立は永仁3年(1295年)年で、開基を笠専心とし、寺号を西方寺と称し、禅宗の寺であった。
後代天正14年(1586年)の頃、高祖城主原田種直氏が豊臣秀吉に攻められ、城は落城し一家中討ち死にし残分は浪人した。
その中、家老笠大炊守は糸島郡西堂村の古領地の縁をもって同村に移住する。
その頃西方寺は住職がおらず破落し、笠大炊守が入寺して再建し、禅宗を転派して浄土真宗に帰依する。
西方寺跡は現在も西堂にある。
寛永6年(1629年)の春、西堂村を引き早良郡西入部村伊田尻に転寺し、寺号西方寺を改め旭曜山西音寺とした。
浄土真宗本願寺派旭曜山西音寺の開基は圓西様である。
歩みをたどると、当寺創立は永仁3年(1295年)年で、開基を笠専心とし、寺号を西方寺と称し、禅宗の寺であった。
後代天正14年(1586年)の頃、高祖城主原田種直氏が豊臣秀吉に攻められ、城は落城し一家中討ち死にし残分は浪人した。
その中、家老笠大炊守は糸島郡西堂村の古領地の縁をもって同村に移住する。
その頃西方寺は住職がおらず破落し、笠大炊守が入寺して再建し、禅宗を転派して浄土真宗に帰依する。
西方寺跡は現在も西堂にある。
寛永6年(1629年)の春、西堂村を引き早良郡西入部村伊田尻に転寺し、寺号西方寺を改め旭曜山西音寺とした。
浄土真宗本願寺派旭曜山西音寺の開基は圓西様である。
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TEL |
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