教傳寺西嘉穂組
- 合同墓
- 納骨堂
- 駐車場
ひとりの熱心な念仏者が、仏道一筋に励み、一寺を建立しました。
教伝寺の誕生は、飯塚市大分の明圓寺にある古文書によりますと、明圓寺門徒の小野山善九郎さんが、僧籍を得て、正徳五年(1715年)に地元の太郎丸に建立したとされています。
又、昭和44年に発行された「穂波町誌」には、「嘉穂郡寺院明細帳によると、正徳五年建立といわれている。『筑前国続風土記拾遺』には、大分明圓寺の末寺で寺号木仏を許された」とあります。
開基より十代続きましたが、明治の中頃、住職が出て行かれ、他の地に一寺を建立されたため、教伝寺は無住の寺院となりました。
その為、残された門徒の要請を受けた本願寺が仲介に立ち、飯塚市佐与の炤蓮寺の副住職を勤めておった、井土 道隆に教伝寺への住職就任を依頼し、第十一代住職を迎えました。
当時の教伝寺は相当に荒廃していた模様で、まず寺の体裁を整える事から始め、道隆師は精力的にお寺の再興に取り組まれました。
寺の資財もほとんど残されていなかった事や、苦しかった当時の事情もあり、そのおよそ20年後の大正九年に本堂が大改修されました。
現在、大改修より百余年経ちます。
今ある本堂は、他の地にあった寺院の本堂を移築・改修したもので、主木材は江戸時代の大きな材が使われており、本堂修復で訪れた棟梁が中を見学させてくれと言われるほどの、しっかりとした材で建てられた本堂です。
元は茅葺屋根であったそうですが、道隆師の時に地元山口の岩見瓦を使われており、この辺りではめずらしい、赤い屋根瓦のお寺です。
遠くからでもその赤い屋根が見えますので、お車でお越しの際は、それを目印に来寺されてください。
一度揺らいだ教伝寺のお法の灯りは、道隆師、又、当時のご門徒の方々のご研鑽により、再び灯され、今も絶えることなく続いております。
寺院再興に向け、苦しい時を共に乗り越えてきた百余年、教伝寺はご門徒の方々に大切に守られてきたお寺です。
住所 |
〒820-0076 |
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アクセス情報 |
JR福北ゆたか線 天道駅より タクシーで5分、徒歩15分 |
TEL |
0948-22-5758 |
FAX |
0948-22-3003 |
納骨堂 |
有り |
墓地 |
無し |
合同墓(合葬墓) |
有り |
駐車場 |
有り |
バリアフリー対応 |
無し |
主な行事や活動 |
葬儀・法事などの仏事、盆・彼岸参り、月忌参りなどのお参りの他に本堂にて法要を開き、お聴聞のご縁としております。 |
住職から一言 |
いつの頃か、家族・親類が遠く離れて生活するようになりました。 |