真覚寺粕屋組
- バリアフリー
- 合同墓
- 納骨堂
- 駐車場
慶長8年(1603年)久原より迎えた玄智によって開基。
筑前守護代 大内義隆の重臣 杉氏に連なる武士たちの追悼のために建立される。
真覚寺は元々、杉弾正の出城である丸山城(1579年落城)近くに在ったが、寛文11年(1671年)第3代 西岸の時、大火に遭い本堂・庫裡の一切を焼失。その後、丸山城があった丸山の中腹より現在の場所に移る。
その後、天保年間の1835年、第10世 椿逢原が正式な教育機関としての寺子屋「松葉塾」を設け、よみ・書き・そろばんを教える。福岡県史料によると、当初男40人、女5人と記録されている。第11世 椿維新も、日田・広瀬淡窓の「威宜園」で学び、寺子屋を受け継ぐ。第12世 椿恒円の代に、寺子屋改め「椿花小学校」へ。その後、大川第二小学校として新設され、江辻の第一小学校と合併して現在の「粕屋町立大川小学校」となる。現在、恒円の顕彰碑が境内に残る。
また、平安時代の作と推定される「木造虚空蔵菩薩坐像」が保管され、粕屋町文化財指定第9号の指定を受けている。
本堂裏には、前方後円墳がある。
教育と深い関わりを持ちながら四百年に亘り守り続けられてきた法灯・・・そこに息づく先人の方々のお念仏の声を心に刻み、歩ませて頂くばかりです。
筑前守護代 大内義隆の重臣 杉氏に連なる武士たちの追悼のために建立される。
真覚寺は元々、杉弾正の出城である丸山城(1579年落城)近くに在ったが、寛文11年(1671年)第3代 西岸の時、大火に遭い本堂・庫裡の一切を焼失。その後、丸山城があった丸山の中腹より現在の場所に移る。
その後、天保年間の1835年、第10世 椿逢原が正式な教育機関としての寺子屋「松葉塾」を設け、よみ・書き・そろばんを教える。福岡県史料によると、当初男40人、女5人と記録されている。第11世 椿維新も、日田・広瀬淡窓の「威宜園」で学び、寺子屋を受け継ぐ。第12世 椿恒円の代に、寺子屋改め「椿花小学校」へ。その後、大川第二小学校として新設され、江辻の第一小学校と合併して現在の「粕屋町立大川小学校」となる。現在、恒円の顕彰碑が境内に残る。
また、平安時代の作と推定される「木造虚空蔵菩薩坐像」が保管され、粕屋町文化財指定第9号の指定を受けている。
本堂裏には、前方後円墳がある。
教育と深い関わりを持ちながら四百年に亘り守り続けられてきた法灯・・・そこに息づく先人の方々のお念仏の声を心に刻み、歩ませて頂くばかりです。
住所 |
〒811-2302 |
---|---|
アクセス情報 |
・JR 福北ゆたか線「門松駅」より徒歩8分 |
TEL |
092-938-3939 |
FAX |
092-938-7078 |
納骨堂 |
有り |
墓地 |
無し |
合同墓(合葬墓) |
有り |
駐車場 |
有り |
バリアフリー対応 |
バリアフリーは門徒会館で対応しております |
主な行事や活動 |
1月1日「元旦会」 |
住職から一言 |
1990年より続けてります、御十六日講(親鸞聖人御命日法座)は、どなたでも気兼ねなくお参りできる法座として毎月16日 午後1時半よりお勤めしています。 |