西圓寺遠賀組
- 納骨堂
- 駐車場
西圓寺は代々、熊鰐家によって法灯が受け継がれてきました。「熊鰐」とは、もともと『日本書紀』に「岡県主祖熊鰐」としてみられる豪族でした。八幡東区の皿倉山には、熊鰐を詠んだ野口雨情の詩碑(帆柱山の歌)があります。そこには、
くきの海辺の船もよい 船も帆がなきゃ行かれない
お供についたくまわにが 山で帆柱きりました
その時きった帆柱は 帆柱山の杉でした
と詠われています。
熊鰐第22代熊太が最初の僧となり、第30代熊亮が伝教大師最澄の教えを受けて現在の岡垣の地に寺院を建立しました。最初は「星住庵」といい、天台宗でありました。当時、地域の人々はこの寺院を「熊の精舎」と呼んでいたそうです。
その後、第73代熊玄が慶長の末(1610年頃)に浄土真宗に改宗し、寛文6(1666)年、第78代吟雪が上京し、寺号・木仏を許可され寺号を「西圓寺」と改めました。
「熊鰐」は『日本書紀』にみられる岡県主祖熊鰐公から数えますと、現在の住職(熊鰐薫修)で93代になります。「西圓寺」といたしましては、熊鰐第78代吟雪(西圓寺第1世住職)から熊鰐第93代薫修(西圓寺第16世住職)まで、350年以上に渡り法灯が受け継がれています。
西圓寺のある岡垣町は、海・山・田畑の自然に恵まれた町です。お寺の裏山は、春には竹の子や山菜が採れます。また、境内には銀杏の木があり、秋にはたくさんの銀杏の実が落ちます。採った銀杏の実は、報恩講法要のお斎に銀杏ご飯として出しています。
西圓寺では、令和2年に新しく納骨堂を建て、随時加入者を募集しております。エレベーター完備です。駐車場も70台ほどのスペースがございます。どうぞ気軽にお参りください。
くきの海辺の船もよい 船も帆がなきゃ行かれない
お供についたくまわにが 山で帆柱きりました
その時きった帆柱は 帆柱山の杉でした
と詠われています。
熊鰐第22代熊太が最初の僧となり、第30代熊亮が伝教大師最澄の教えを受けて現在の岡垣の地に寺院を建立しました。最初は「星住庵」といい、天台宗でありました。当時、地域の人々はこの寺院を「熊の精舎」と呼んでいたそうです。
その後、第73代熊玄が慶長の末(1610年頃)に浄土真宗に改宗し、寛文6(1666)年、第78代吟雪が上京し、寺号・木仏を許可され寺号を「西圓寺」と改めました。
「熊鰐」は『日本書紀』にみられる岡県主祖熊鰐公から数えますと、現在の住職(熊鰐薫修)で93代になります。「西圓寺」といたしましては、熊鰐第78代吟雪(西圓寺第1世住職)から熊鰐第93代薫修(西圓寺第16世住職)まで、350年以上に渡り法灯が受け継がれています。
西圓寺のある岡垣町は、海・山・田畑の自然に恵まれた町です。お寺の裏山は、春には竹の子や山菜が採れます。また、境内には銀杏の木があり、秋にはたくさんの銀杏の実が落ちます。採った銀杏の実は、報恩講法要のお斎に銀杏ご飯として出しています。
西圓寺では、令和2年に新しく納骨堂を建て、随時加入者を募集しております。エレベーター完備です。駐車場も70台ほどのスペースがございます。どうぞ気軽にお参りください。
住所 |
〒811-4205 |
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アクセス情報 |
JR海老津駅より車で10分 |
TEL |
093-282-6765 |
FAX |
093-776-1859 |
納骨堂 |
有り |
墓地 |
無し |
合同墓(合葬墓) |
無し |
駐車場 |
有り |
バリアフリー対応 |
無し |
主な行事や活動 |
◯法要 |
住職から一言 |
このたびのホームページリニューアルに伴い、教区・教堂・各寺院の情報にアクセスしやすくなったことは大変ありがたい事であります。特に他の寺院の行事や活動の内容を知ることによって、それが自坊の寺院活動にも役立つと思われます。また、ご門徒が転出される場合にも、転入先の周辺寺院を紹介しやすくなると思います。 |
WEBサイト |