徳栄寺福岡組
- バリアフリー
- 納骨堂
- 駐車場
【沿革】
播磨の国(現在は兵庫県)飾東郡に黒田市右衛門あり、仏門に入り光心と称しその郷里に寺を建て西蓮寺と号す。その後、黒田孝高に随って中津(大分県)に移り西蓮寺を建てる。更に小倉(北九州市)に移り、同じく西蓮寺を建てる。その後、黒田長政に随って福岡に移り小庵を結ぶ。
光心に後継住職なきにより、長政の命にて大野九郎右衛門正次の二男が後任住に定められる。名を空玄と称し寺を継ぐ。1610(慶長15)年、本願寺准如上人より徳栄寺という寺号をあたえられる。以後現在の地(福岡市中央区大手門)にあり、浄土真宗本願寺派の寺院としてその法灯を受け継ぐ。
1945(昭和20)年に福岡大空襲で本堂・庫裏全焼し、その後仮本堂が建てられる。
1972(昭和47)年に現在の本堂・庫裏・納骨堂・山門が建てられる。
播磨の国(現在は兵庫県)飾東郡に黒田市右衛門あり、仏門に入り光心と称しその郷里に寺を建て西蓮寺と号す。その後、黒田孝高に随って中津(大分県)に移り西蓮寺を建てる。更に小倉(北九州市)に移り、同じく西蓮寺を建てる。その後、黒田長政に随って福岡に移り小庵を結ぶ。
光心に後継住職なきにより、長政の命にて大野九郎右衛門正次の二男が後任住に定められる。名を空玄と称し寺を継ぐ。1610(慶長15)年、本願寺准如上人より徳栄寺という寺号をあたえられる。以後現在の地(福岡市中央区大手門)にあり、浄土真宗本願寺派の寺院としてその法灯を受け継ぐ。
1945(昭和20)年に福岡大空襲で本堂・庫裏全焼し、その後仮本堂が建てられる。
1972(昭和47)年に現在の本堂・庫裏・納骨堂・山門が建てられる。
住所 |
〒810-0074 |
---|---|
アクセス情報 |
地下鉄赤坂駅徒歩10分 |
TEL |
092-751-9894 |
FAX |
092-751-5771 |
納骨堂 |
有り |
墓地 |
無し |
合同墓(合葬墓) |
無し |
駐車場 |
有り |
バリアフリー対応 |
有り |
主な行事や活動 |
法要:元旦会、彼岸会(春・秋)、永代経法要、盆会、報恩講法要、祥月命日合同法要 |