浄土真宗本願寺 福岡教区

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「御同朋の社会をめざす運動」(実践運動)推進についての意見具申

重要

2022年12月26日

2022(令和4)年12月26日

「御同朋の社会をめざす運動」

中央委員会 御中

福岡教区教務所長

髙 原 眞 見

 

「御同朋の社会をめざす運動」(実践運動)推進についての意見具申

 

今般、「御同朋の社会をめざす運動」の実践に関する宗則第十二条第一項第五号により、下記の事項を意見具申いたします。

 

 

1.『僧侶教本A』『僧侶教本B』とは別に、宗門の運動について体系的に学ぶことができる『僧侶教本C(仮)』の作成を要望する意見具申

 

『僧侶教本A』『僧侶教本B』(以下『A』『B』と表記)は、それぞれ得度習礼・教師教修において学ぶ内容を1冊にまとめたテキストとして近年作成されたものですが、この本には本願寺派僧侶として学ぶべき基本的な宗門の運動(同朋運動・門信徒会運動・基幹運動・実践運動)についての記述がほとんどないことに、強い危機感を覚えます。どれくらい記述がないかというと、『A』ではほぼ記述なし、『B』では宗門の歴史や布教伝道に関する箇所で多少言葉が出てくる程度です。帰敬式を受けた時にいただく『浄土真宗必携 み教えと歩む』と比較しても、圧倒的に内容が乏しいというのはいかがなものでしょうか。

得度習礼や教師教修の際、テキストで宗門の運動についてほとんど触れられていないのであれば、運動に対する意識や関心の低い僧侶しか生まれないでしょう。それはつまり、様々な社会の問題に対して念仏者として取り組むように述べておられる御門主のお言葉を軽んじる僧侶を育てている、ということではないでしょうか。

得度習礼・教師教修の限られた時間の中では、勤式作法や宗学の習得に重きが置かれるのは仕方がない側面もあると思います。しかし、時間配分が小さくなるとどうしても「重要ではないからそのように扱われている」と思われてしまうでしょうし、「重要なものではないからテキストも作られないのだろう」と思われかねません。だからこそ、テキストを作成し、僧侶として必須の学びであることを示していく必要があるのではないかと考えます。

以上のことから、本願寺派僧侶として学ぶべき宗門の運動について体系的にまとめたテキストを作成し、得度・教師を目指す人に購入していただき、得度習礼・教師教修内での学びはもちろん、生涯学習に利用できるように手元においてもらうことには大きな意味があると考え、テキスト『僧侶教本C(仮)』の作成を要望いたします。

 

 

2.2019(令和元)年に刊行された『拝読浄土真宗のみ教え』改訂版において全文削除された「浄土真宗の救いのよろこび」の再掲載を求める意見具申

『拝読 浄土真宗のみ教え』(以下『み教え』と表記)は2009(平成21)年に宗派から初版本が刊行され、日常の勤行や法要などでの拝読が推奨されています。本山本願寺での常例法座などにおいて用いるように指導されており、現在、宗派における伝道の中心に位置づけられているといっても過言ではないでしょう。

この『み教え』初版本では、和讃と同様の形式・五首分の文章量で、浄土真宗のご法義の肝要を示した「浄土真宗の救いのよろこび」が掲載されていました。『拝読 浄土真宗のみ教え』と題された本の冒頭部分に配置され、他の各項目とは別立てとなっていることからも、この「浄土真宗の救いのよろこび」は〝み教えの肝要を示すもの‶という扱いになっています。しかし、2019(令和元)年の改訂版において、この「浄土真宗の救いのよろこび」が全文削除になっています。(以下、初版本を『初版本』、改訂版を『改訂版』と表記)『改訂版』では、63ページから「『拝読 浄土真宗のみ教え』改定にあたって」と題して、改訂に至るまでの経緯が記されていますが、その内容を読んでも「浄土真宗の救いのよろこび」が全文削除されることに、理解も納得もできません。その理由と問題点について、3点にまとめて以下に記します。

 

(1)改訂にあたり、「改訂編集委員会」において、「浄土真宗の救いのよろこび」の題名と内容には加筆修正を行わない方向で検討すべき、という強い意見が出されています。

しかし、最終的に一任された総局の判断において、全文削除という扱いを受けています。「改訂編集委員会」の意見が無視されているのはもちろんのこと、本願寺の常例で用いることが義務付けられている「浄土真宗の救い、信心のよろこびを自ら口に述べる文章」(『初版本』)がこれほど簡単な手続きで削除されてしまったことに納得がいきません。

 

(2)改訂の基準として「典拠が明確であり、しかも現代人にもわかりやすいことを原則として」と示されています(『改訂版』65ページ)が、これを言葉通りに解釈すれば「浄土真宗の救いのよろこび」は「典拠不明で現代人にわかりにくい」から削除されたということになります。宗門では今「伝える伝道から伝わる伝道へ」を掲げているのですから「浄土真宗の救いのよろこび」の中で使われている表現は、今後、布教の現場で用いるのが適切なのかどうかまで検討する必要があるといえるでしょう。

一方で、2021(令和3)年4月15日に御門主から発布された『「浄土真宗のみ教え」についてのご親教』には、一部「浄土真宗の救いのよろこび」と類似しているような表現も見受けられ、『改訂版』の「親鸞聖人の言葉」各項目にも、随所に「浄土真宗の 救いのよろこび」と同じような表現が用いられているのにも拘わらず、こちらには一切の加筆修正がなされていないという矛盾があります。なぜ「浄土真宗の救いのよろこび」だけが削除されるのか、理解できません。

 

(3)『初版本』において「浄土真宗の救いのよろこび」は、宗派から公式に刊行され唱和を勧められていた「浄土真宗の救い、信心のよろこびを自ら口に述べる文章」です。それがわずか10年で、総局判断によって削除されたというのは、今後新しく制定された文言も同様に「現代人には分かりにくい」などの理由で、その時その時の総局判断によって撤回や削除、あるいは用いない等の扱いを受けてしまう可能性があるということを、実例でもって示したということです。一緒に唱和しましょうと伝えてきたことが、ある日突然「あの言葉は用いないことになりました」と伝えなければならなくなる。そのような、いつ用いない・用いることができない言葉になるかわからないものを、布教の現場で用いるのには強い抵抗があります。

実際に『初版本』の「拝読について」に記されているように、「浄土真宗の救いのよろこび」の唱和が求められていたことから、平素の法座で唱和していた寺院もありましたが、『初版本』を持つ方と『改訂版』を持つ方との間で混乱が生じてしまい、宗派から唱和を勧められる言葉や削除を決定した総局に対する強い不信感となっています。

 

以上3点、「浄土真宗の救いのよろこび」の扱いに対しては、削除の理由と実態に矛盾があるとしか思えず、矛盾がなかったとしても、単に書籍から言葉が無くなるだけでは済まない、大きな問題があると考えています。

特に福岡教区では、2016(平成28)年度に、この「浄土真宗の救いのよろこび」を現代版領解文として定めることを求める意見具申を出しておりましたので、このような改訂が行われたことに失望しております。『初版本』作成に携わった方々や改訂編集委員会の意見を尊重することはもちろんのこと、今後宗派から出される文言への信頼性を失墜させないためにも、この「浄土真宗の救いのよろこび」が、加筆修正なく『改訂版』に再掲載されることを強く求めます。

 

以 上

 

 

 

参考

 

2017(平成29)年1月19日

「御同朋の社会をめざす運動」

中央委員会 御中

 

福岡教区教務所長

菊 池 慈 峰

 

「御同朋の社会をめざす運動」(実践運動)推進についての意見具申

 

今般、「御同朋の社会をめざす運動」の実践に関する宗則第十二条第一項第五号により、下記の事項を意見具申いたします。

 

 

(中略)

2.『拝読 浄土真宗のみ教え』中の「浄土真宗の救いのよろこび」を、現代の『領解文』として明確に位置づけてください

『拝読 浄土真宗のみ教え』は、親鸞聖人のご法語をもとに、簡潔で分かりやすい内容なので日常の伝道において大変重宝しております。

その中でも「浄土真宗の救いのよろこび」は、教義の基本構造を平易な言葉で、一人ひとりの人生の上にみ教えが身に付くように、如来の本願のはたらきと凡夫の上に具体化していく次第に沿って表現してありますから、法座や研修の終りに参加者一同で唱和されることが多いようです。

福岡組でも、本書が発行されてすぐから、現在第20期に至るまでの「連続研修会」において毎回、プログラムの最後に参加者もスタッフも一緒に唱和しております。

このことはすでに本書の解説のなかに、「『領解文』のよき伝統とその精神を受け継いで、浄土真宗の救い、信心のよろこびを自ら口に述べる文章です。」とされている通りの使われ方と働きをしている訳ですから、実質的に「現代の『領解文』」と言ってよいのではないでしょうか。

ところが、「宗門総合基本計画」には、「基本方針Ⅱ-4.念仏者の生活実践」として「⑫現代版『領解文』を制定し拝読する。」と計画されています。

これは現にある「浄土真宗の救いよろこび」が、各寺各組の現場で実質的に「現代の領解文」として依用されていることをご存知ないのか、ご存知の上で屋上屋を重ねる愚を敢えてなさろうとしてあるのか、いずれかとしか思えません。

そもそも『領解文』は、門徒一人ひとりが間違いなくご法義を聞信したことを信仰告白として口に出して確認するもので、大谷派では『改悔文』と称され、自らの誤った信心の戴きかたを悔い改めるために唱和されています。しかも、「御一同に…出言」する有り様は真宗念仏者としての僧伽の確認(同朋意識)を促すものであったでしょう。蓮如上人、山科別院建立後頃から唱和されてきたといわれますから、500年の間綿々と発声されてきたものです。そして、今でもご法座を締めくくる儀礼として各寺院で「領解出言」されています。

この度あらたに現代版『領解文』を制定されるためには、先ずは500年にわたって依用されてきた『領解文』が成立した背景や今日まで果たしてきた役割を総括し、その上で現代版『領解文』を制定する必要があることを説明されなければなりません。

また、ここ数代の総局におかれましては、「新安保法制」や「原発問題」についての総長声明を求める要請が多くの教区から幾度も出されながら、それにさえも応えることが出来ないでいます。このような宗門状況において、どうして「現代版『領解文』を制定」することができましょうか。

このように現代版『領解文』を制定するには多くの問題があります。平易な言葉でないと現代にそぐわないなら、「浄土真宗の救いのよろこび」がその役目を充分に果たしています。「浄土真宗の救いのよろこび」を、現代の『領解文』として明確に位置づけてください。

以 上