浄土真宗本願寺 福岡教区

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みんなの法話

浮島 範道 本願寺派布教使 福岡教区 下川東組 安養寺

私が京都の本山常例布教のご縁をいただいた時の話です。その法座は四日間のお取次ぎをさせていただくご縁でした。一日目、二日目、三日目と終わると、私はあることに気づきました。それは、必ず聴衆の後方に作務衣姿の女性が座っていらっしゃったのです。私がお取次ぎをさせていただく全ての法座を、毎回後の椅子に座って聴聞されていました。熱心な方がいらっしゃるなと印象深く感じていました。

 

そして四日目の最後の法話が無事に終わり、お世話になった宿泊所のフロントに鍵を返しに行きました。するとフロントの受付の方から「お手紙を預かっています」と封書を受取ったのです。私は突然の出来事に驚きました。誰からの手紙かと開けて読んでみると、毎回法座を後の方で聴聞されていた作務衣姿の女性からでした。

 

手紙には自分のターニングポイントに立ち、とにかく法話を聴聞したいと思われ一週間の滞在をされたこと。そして手紙の最後に「必ず救う、われにまかせよ。何度も何度も声をかけて頂けてありがたかったです」と書かれていました。私を通して阿弥陀さまの「必ず救う、われにまかせよ」の呼び声が、女性に届いたのです。頼りにしていた全てが頼りとならず見放された孤独の自身に、決して見捨てず寄り添って下さる阿弥陀さまの光が照されていたことに気づかれたのでしょう。

 

布教使は法話をさせていただきます。しかし、それは話す個人が消えて仏さまの声をお取次ぎさせていただくことが重要だと感じます。布教使は「使」であり「師」ではありません。黒子のように脇役となり、主役は阿弥陀さまです。話し手も聞き手も、共に阿弥陀さまの救いの呼び声を聴聞させていただく同朋なのです。女性からの手紙を貰い、法話というものは阿弥陀さまの救いの呼び声を共に聴聞させていただくことであると改めて実感しました。