私へのおはたらき(2024年8月)
柴田 弘司 本願寺派布教使 福岡教区 鞍手組 願照寺
チリンチリリリ~ン♪
どこからともなく涼やかな音色が耳に届いてきた。なんと心地よい音色だろう。
この夏の猛暑に辟易していた心が、その時だけは暑さを忘れていた。ご法事で向かうご門徒宅の軒先に吊された、南部鉄で鋳られた三連風鈴が奏でる美しい調べである。
先月、お世話になったご門徒のお婆ちゃんのご法事の時であった。私が来る前から、ご法事の間も風鈴は鳴り続けていた。きっと、ご法事が終わり私が帰っていった後も、ずっとこの風鈴は鳴り続けているであろう。その風鈴に、私は改めてハッ!と気付かされた。
阿弥陀様は法蔵菩薩であった時、煩悩具足の凡夫であるこの私のいのちが生死の苦海に沈みっぱなしであり、救われ難きありようをみそなわし悲憫して、何としてもこのいのちを救わんがためにと「願」を建て、私たちには到底想像できない永いご修行をもってその願いを成就完成され、阿弥陀如来となられたのである。
阿弥陀様の仏としての全徳を余さず「南無阿弥陀仏」という名号に込めて、私を救わんと、私に寄りそい、片時も忘れることなく「この弥陀にまかせてくれよ!決してあなたを見放すことなく救いとり、仏として生まれさせる!」と喚びかけ通しに喚びかけてくださっているのである。今、現にである。私はその阿弥陀様の慈悲のはたらきに既におさめとられている身であることを、耳に届く風鈴の音色に改めて得心し、思わず「なんまんだぶつ…」と称えていた。その有り難さ故にであった。
自身では鳴るべくもない風鈴が、色も形も見えないそよ風にはたらきかけられて札と打ち金を揺らし、美しい音色となって響き出ているのだ。私の口に称え聞こえてくるお念仏は私が称えるお念仏ではあるが、風鈴の如くに私に届く阿弥陀仏のはたらき、成就された仏の願いのお蔭であったのだなぁ。
「なんまんだぶつ なんまんだぶつ」
阿弥陀様が、お婆ちゃんが、ご縁の仏様が、私のところでいつもおはたらきくださっている。
なもあみだぶつ