経は教なり鏡なり(2024年6月)
花田惠蓉 本願寺派布教使 嘉麻組 仙林寺
四月・五月・六月になるとたいていの寺院が永代経法要を勤められます。「永代経」という名前のお経があるわけではなく、「永代読経」の略で永代(この先いつまでも)お経が読まれるという意味です。そこから子や孫たち、次の世代の多くの人たちに永代に渡りお経が読み続けられ、仏法(仏様の教え・仏様の願い・真実の教え)が伝わっていくことを願う法要です。浄土真宗は故人の為にお経を読むのではなく、今は亡き方々を縁としてこの私が仏法をお聞かせいただきます。
そもそもお経とはお釈迦様の説法です。お釈迦様は今から約2500年前にインドでたくさんのお弟子に仏法を説かれました。その教えはお釈迦様が入滅されたのち文字として残されました。その後、中国で漢字に翻訳され日本に伝わりました。
「経」の文字を辞書で調べてみますと
①たていと、たてのすじ
②へる、たつ、みちすじ
③おさめる、いとなむ
④つね、つねにかわらない
⑤不変の道理を説いた書物、聖人や仏陀(お釈迦様)の教え
とでてきます。
中国、唐の時代の方で親鸞聖人が七高僧の一人とあがめられた方に善導大師という方がおられました。その方の書物に
「経教(きょうきょう)はこれを喩(たと)うるに、鏡のごとし。
しばしば読みしばしば尋ぬれば智慧を開発す」(観経疏)
とあります。
私たちは毎日鏡を見ます。鏡に映し出される私の姿を見ます。
仏法は私の内面を映し出してくださいます。しばしば(何度も)読み、しばしば(何度も)そのお心を尋ねるならば智慧を生み出します。
仏法によって映し出された私の本当の姿を見たとき、私という者は教えを聞かず、願いに背を向け、不信実であると知らされます。不平不満・愚痴を言い、聞く耳もたず、自己中心的な考えで行動し、悪いことは人のせいにして、いいことばかりを手柄にするそんな私は愚かな凡夫であると知らされます。また同時に、真実の在り方、自分の目指すべき方向も知らされます。
智慧を生み出すとは、自分自身で智慧を体得するのではなく、仏様の智慧の働きが私に届き浄土に導かれるということです。
このみ教えが永代に続きますように 合 掌