浄土真宗本願寺 福岡教区

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みんなの法話

松月英淳 本願寺派布教使 志摩組 海徳寺

「御仏を呼ぶわが声は みほとけの われを喚びます みこゑなりけり」

「みほとけの 御名を称ふるわが声は わがこゑながら尊かりけり」

 

甲斐和里子さんは、仏教精神に基づく教育を推し進めたお方であり、京都女子大学の創始者の一人に数えられます。またお念仏の味わいを、このように数多くの歌に残されました。お父様は足利義山という浄土真宗の学者であり、『甲斐和里子の生涯』という本に、こんなエピソードが載っています。

 

「お念仏を申すとき、『なんまんだぶ』、『なもあみだぶつ』のいずれを称えたらよいのか、またその声量などの注意点を教えてください」と和里子さんがお父さまに質問されました。

そうすると、お父さまはこのようにお答えになったというのです。

「かあちゃんというても、おかあさんというても、聞く母親にとっては同じ愛する子供の声である」

 

母の立場からすれば、なんと呼ぼうが、どう呼ぼうが、どの声も皆かわいいわが子の声にほかなりません。私の称えるお念仏は、子どもが母親を慕うよび声のようであり、その声を聞いた親のこころを考えるならば、よび方の違いや、声の大きさなどは全く問題にならないというおこころでしょう。有難いですね。

 

「一輪の 花をかざして今日もまた 浄土へ帰る旅を続けん」

 

これはもまた甲斐和里子さんの歌です。お念仏のある人生は穏やかで温かく、華やかです。たとえ老いや病で苦しい中にあっても、そこに一声お念仏の花が咲いたら、その一日は輝きます。この世の終わりは淋しいけれど、それで終わりのいのちではありません。お念仏の花を携えて今日も1日を歩みましょう。私の歩むこの人生の先には、阿弥陀さまのお浄土があります。そこは寂しさや悲しさとは、無縁の光輝くお悟りの世界です。