浄土真宗本願寺 福岡教区

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みんなの法話

木村眞昭 本願寺派布教使 福岡組 妙泉寺

2023年10月から福岡市アジア美術館で開催された水俣・福岡展では、水俣病に関わってきた方々による講演会が連日開催されました。私は緒方正人さんの講演を聞くことができました。

 

緒方正人さんは水俣病によって両親や兄弟を失った人です。自身も発病して国や県、加害企業のチッソに対して被害の認定や被害補償を求める闘いの先頭に立って来られた方です。そしてその闘争のさなかに、突然その認定申請を取り下げ、運動からも身を引かれたのです。仲間からは理解されず「裏切り者」とさえ言われましたが、戻ることなく「本願の会」という名の会を作って、水俣病を深く考えてこられたのです。

 

それは、被害を訴えて認定され加害者が謝罪をしても、死者も病んだ体も壊された自然も元に戻らずに、結局は被害の補償が何がしかの金銭に換算されるだけでしかない、空しい思いがした。そして水俣病被害を生み出して自然を破壊するような人間の傲慢な歩みの中に自分自身がおり、その結果を自分も受けている、と。それが「チッソは私であった」という言葉となりました。

 

その間の経緯を話してくださったのですが、「闘いの最中はあまりの理不尽さと抱えている課題の重さで狂いそう、いや狂っていた。そこから一挙に谷底に突き落とされた気がしたが、そのとき浮かんだのが『憶念弥陀佛本願 自然即時入必定』だったんですよ。」と語られました。突然出てきた言葉に、私は思わずお念仏がこぼれました。

 

私はくり返し味わいながら、阿弥陀如来の本願は、いつでもどこでも苦悩の有情にはたらき続けていて、機が熟したならば人間の自覚内容として表に出現するものなのだと気づかせていただきました。

 

そして憶念とは、凡夫が憶念する前に如来の方から先にわれら凡夫を憶念し続けてくださっていたからこそ、自力のはからい廃(すた)って自然(じねん)の世界に目覚めることができるのです。それを阿弥陀如来の本願というのでありましょう。南無阿弥陀仏