「聴聞を心に入れまうさば…」(2023年11月)
下川弘暎 本願寺派布教使 下川東組淨弘寺
仏教の大原則は「教」があり、その「教」に基づいて「行」があり、「行」を積んで「証」(さとり)を得るということです。ところが、浄土真宗では座禅とか、滝に打たれるとか、皆さまのイメージするようないわゆる「修行」はございません。もし、浄土真宗の修行というものがあるとすれば、それは「聴聞」ということになると思います。
浄土真宗は昔から「聴聞の宗教」、あるいは「聞法の宗教」と言われてきました。
蓮如上人はこのように仰せられています。
いかに不信なりとも聴聞を心に入れまふさば、お慈悲にて候ふあひだ信をうべきなり(『蓮如上人御一代記聞書』)
「聴聞」の「聴」には、「ききに行く」という意味があります。「聞」には「聞こえてくる」という意味があります。
いかに信心を得ていない者であっても、阿弥陀如来のお話しの聴聞を心がけておれば、阿弥陀如来さまのおはたらきがあるから、そのご信心をよろこぶ身となりますよ
蓮如上人のお言葉のこころはこのようなことでありましょう。
どうか一度でも多くご法座にご縁をいただきたいものです。